ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

周りの人がきになってしまう方へ

ヘテロクリニックでのイベントです。

 

《周りの人がきになってしまう方へ》

自分の思いグセを知って、

笑顔で過ごすコツをお伝えするミニセミナーを開催します。

 

仕事中、相手が自分をどう思っているのか

気になってしまうことはありませんか?

相手の顔色をみて行動したり、ご機嫌を伺ったり

気を使って、後からどっと疲れてしまったり

本当はもっと言いたいことが素直に言えたらいいのに。

 

そんな時はちょっとした感情の取り扱いで変わります。

 

ヘテロクリニックでは自分にとってイヤな感情を

人にぶつけず、自分の中に溜め込まず、

自分で解決できるカウンセリングを提供しています。

当日は何が自分の足枷になっているのか探る

解決の手段をお伝えします。

もっと笑顔で自由に生きるために自分の心を覗いてみましょう。

 

日時:①部 令和2年1月16日 14時〜16時

   ②部 令話2年1月23日 14時〜16時

場所:ヘテロクリニック 鎌倉 江ノ電長谷駅より徒歩3分

定員:1部につき4名

料金:3,300円

申込、問合せ先:rachel@hetero-clinic.com  

 

ヘテロクリニック

神奈川県鎌倉市長谷2−9−11−5

0467-53-8731

                              

先入観、思い込みが人生を悲観的にしてしまう

ずいぶん昔のことですが、

胃癌の告知後に自殺をされた患者さんがいました。

その方はなんとなく調子が悪いと病院で胃カメラをされて

初期段階の早期胃癌を発見されたのでした。

この大きさであれば内視鏡で切除できるであろうという小さなもので、

検査する人によっては小さすぎて見落としてしまうのではないかと思われるほど

でした。

つまり根治といって治癒ができる可能性が非常に高いものでした。

 

しかし癌と聞いただけで、気が動転してしまい

もう人生おしまいと悲観し塞ぎ込んでしまいました。

その方の奥様が別の癌で闘病し亡くなっていました。

奥さんが亡くなったのをきっかけにすっかりと元気がなくなっていたようでした。

 

「もう嫌だ。死にたい。」

もちろん治療をする予定の病院でも

どのように治療し、予後がどうなのかお話されているのですが、

混乱している状態なので頭に入っていきません。

 

内視鏡治療の入院の前日、自宅で自殺をしていました。

 

癌というわからないものに対する恐怖

奥さんの闘病の様子を辛くてみていられなかったこと

これからの人生に対する絶望感

様々な思いがあったのかもしれません。

 

本当に死にたかったのでしょうか?

それとも怖くて現状から逃げ出したかったのでしょうか?

結局のところ本心は本人にしかわかりませんが

怖いから死ぬというのは奇妙なことのように感じませんか?

癌で死ぬことが怖いのであれば死ぬことが怖いのではなく

生きている間の時間が怖いのかもしれません。

生きていることが辛い、

生きていることが悲しい、

生きていることが苦しい、、、。

 

最近では初期段階の胃癌も多くみつけられるようになりました。

また治療も本当に早期であればお腹を切らずにできる内視鏡治療もどんどん

されるようになりました。

ですから癌=死ではない場合もたくさんあります。

特に早期の胃癌であれば今までと同じような生活ができることが多いのです。

 

しかし、多くの方がテレビや過去のイメージで癌=死と

連想しやすいのではないかと思います。

癌=死=終わりではないことを知っていただきたいと思います。

 

多くの方が本当は生きる間の葛藤を一番辛いと感じるのではないかと思うのです。

 

そうであるのならば、冷静にいられる時間が必要です。

自分の混乱を落ち着かせる場所が必要です。

自分の人生の終わりを突きつけられたのではなく

自分の人生の生き方を見つめ直す時間であることを知り、

その過程で出てくる感情を処理できるようになると

生きてきた意味を見出せるかもしれません。

 

 

自分を信頼することの重要性

私はヘテロクリニック以外で胃カメラなどの内視鏡の仕事をしています。

先日胃カメラの検査をしていたところ、

耳の聴こえない患者さんが来られました。

胃カメラを受けることが初体験だというその女性は

緊張している様子もなく、ニコニコしながら検査室に入りました。

私は手話がほとんどできないので、

筆談と絵と身振り手振りでお話しました。

患者さんも慣れているのか、私に書く文章をみながら

私の口元もみて笑顔でウンウンと頷いていました。

 

さて、検査の説明が終わったところでいよいよ検査が始まります。

ベッドに横になり、麻酔の処置がされ、カメラが入っていきます。

患者さんは目をつぶっていました。

私はいつもであれば、検査中も患者さんに声をかけながら行います。

経鼻内視鏡は入れている時に患者さんも声を出すこともできるので

検査中にコミュニケーションがとれるのですが、

耳が聞こえないうえに目をつぶってしまったことで

いつものようなコミュニケーションがとれません。

一瞬大丈夫かなと不安になりました。

というのも初めて胃カメラとなるとわからないことも多く、

カメラの刺激で嘔吐反射が出てパニックになる人もいるからです。

ですから、聞こえないぶん検査中に不安になったりしないかと

私のほうが不安になりました。

しかし、彼女は目をつぶったまま安心しきった様子で検査を受けられていました。 

 

検査は問題なく終了しました。

とてもきれいで食道も胃も十二指腸も何の問題もなかったことを

筆談と撮影した写真を見せながら彼女に話しました。

彼女は私の説明する口元も確認しながら聞いておられました。

「大丈夫でしたよ。きれいでしたよ。」

そう言うたびに小さく手を叩いて喜んでいました。

最後に何度もありがとうと手話で伝えながら検査室を後にされました。

内視鏡の介助で立ち会っていた看護師さんから

以外と普通に大丈夫なものなんですねと言われました。

 

胃カメラをしていると、患者さんのなかには検査前からひどく緊張して

薬やカメラが入る前、椅子に座った時点でおぇおぇっとなっている人もいます。

以前のカメラをした時の記憶から不安になっているのか

人から聞いた先入観や初めての体験で不安になっているのか

少なくとも一定数の方は検査前から緊張が強くて

私の話もほとんど耳に入っていないだろうなと感じることがあります。

そういったこともあり、耳が聞こえないとなると

情報量が少なく、緊張もしやすくなるのではないかと考えていました。

耳が聴こえない状態で自分の体を人から何かされているというのは

どういう感覚なのだろうと考えました。

通常自分の感覚でわからないことが多くなるほど不安が強くなりそうです。

しかしそれは私の思い過ごしでした。 

 

みんなと同じような感覚は得られないかもしれません。

しかし、他の部分で補い、みんなと同じことができるのです。

本人にしかわからないことですが、本人のこれまでの過程で

当たり前のようにできるようになったのだと思います。

ですから胃カメラの検査だって当たり前のようにできるのだと思います。

それは自分にはできる、大丈夫と信頼しているのではないかと思います。

 

今回、私は彼女から検査に対して信頼していただいたことと

何よりも彼女自身が自分に対して信頼していることの重要性を

教えていただきました。

  

 

私がへテロクリニックでこの仕事を始めたわけ(14)

前回(13)の続きです。

 

ある日のことでした。

朝目覚めると自分がどこにいるのかわからなくなりました。

そこは確かに自分の住んでいる家でした。

しかし目の前に広がる光景はナースステーションでした。

自分がベッドにいるのに、看護師さんたちが次々話しかけてきます。

「先生、今日の・・さんの点滴いついきます?」

「先生、・・さんが診断書、書いてほしいって。」

「先生、明日の・・さんの検査のオーダーを早めにお願いします。」

私以外の人間がいつもと同じように動いていました。

ナースコールのピピピっという音も聞こえます。

いつもの光景です。

周囲がそんな様子なのに私は起き上がることができません。

体が動かないのです。

(どうしよう。動けない。ここはどこ?家?病院?)

頭の中がパニックになりました。

しばらくすると携帯電話が鳴っているのがわかりました。

なんとか片手を伸ばして取ると医局長からでした。

「どうした?」

「体が動きません。」

気がつくと、やはりそこは自分の部屋でした。

朝のミーティングの時間は過ぎていました。

「わかった。とりあえず、やすみなさい。」

そのままクラクラしていつの間にか気を失うように眠っていました。

 

その日から私は休職することになりました。

突然自分の居場所がなくなったように感じました。

患者さんのために、患者さんのためにと、自分の身を削りながら働いていたので

これまで自分が頑張ってきたものが何もかも失われたように感じました。

それからというもの体が緊張してこわばり眠れなくなりました。

あまりにもひどいので睡眠導入剤を飲みますが眠れません。

そんな状態が何日も続き、苦しくて仕方がありませんでした。

もう自分はダメなのだ、生きている価値がないと思うようになりました。

周囲の方の支えもあり、なんとか病院に復帰しましたが

 一体どうすれば自分の思いを解消できるのだろうと悩んでいました。

 

ある時、感情カウンセラー養成講座が始まると

一悟術の代表の岡村茂さんから聞きました。

 

感情の扱い方について学べるということで、私は早速講座を受けることにしました。

感情が自分や患者さんの人生に影響を与えているのでは、

そのようにずっと感じていたのした。

 

感情カウンセリングは自分の感情を一旦自分ではない別のものとして扱います。

これによって、自分が何に悩まされ何にとらわれているのか

自分で気がつくことができます。

養成講座を受けたのち、私は初めて勘違いしていることに気がつきました。

私は自分の生きることへの辛さ、苦しさを

癌の患者さんに投影していたのではないかということです。

癌の患者さんが告知の時や闘病中に葛藤する苦しみを

頑張っても報われない自分自身と重ねているようでした。

私はずっと生きることが辛いと思っていたのでした。

いつも自分のしている努力が認められていない、

自分が思うように生きられない、

そのような思いを抱えて生きていました。

ですから、患者さんとお互いに苦しい辛いといったループにはまっていたのです。

相手の辛そうな様子をみて自分も辛くなってしまい

なんとかしたい、なんとかできない、どうしよう、どうしたらいいのかと

感情的なやりとりになってしまっていたのではないかということです。

 

 相手がかわいそうだから、辛さそうだから、こうしてあげたい

というのはいっけん良いことのように感じるかもしれません。

しかし、どう選択するかは本人が決めることです。

してあげたことが必ずしも本人にとってプラスになるとは限りません。

かえって負担になってしまったり、

本当にしたかったことを邪魔してしまうこともあります。

そう考えると患者さんのことが第一ではなく、

自分の思いが先行して行動していたように思います。

そうであれば患者さんの本当の意味でのサポートができていなかったのではないかと

思うようになりました。

 

今現実に起きている状況に対してどう生きていきたいか

本当は答えはシンプルです。

こうなったらどうしよう、

こうしたらどう思われるか、

こうしたら失敗するかも、

こうしたら相手に怒られるかも、

こうしたら相手を傷つけるかも、

誰かを気にしたり、過去にとらわれたりしながら

多くの人は苦しんでいるように感じます。

感情は物事を複雑にさせてしまいます。

それは感情にとらわれず自分の思う本当の生き方に気づくには

やはり自分の感情と向き合う必要があるのです。

 

 

グルテンフリーについて その⑴

グルテンフリーってご存知ですか?

小麦などグルテンを含む食べ物を取らない健康法の一種です。

このグルテンフリーを1年半実践された友人youtuberの米井寛さんと対談をしました。

彼は日々の食事で小麦を食べない生活を実践したそうです。

対談の動画をつけますが、この中では話きれないこともあるので、

付け加えてみました。

 


#02【対談】医師に聞くグルテンフリーのメリットとデメリット

 

グルテンフリーといえば最近ではテニスプレイヤーのジョコビッチさんが

本を出していますね。

彼はグルテンフリーを実践し、パフォーマンスがあがっただけでなく、

以前から悩まされていた鼻炎や体のだるさが改善したり、体重が減ったようです。

 

グルテンはタンパク質の一種で、

小麦に水を加えると粘着性のある物質に変化する特徴があります。

このグルテンが小腸で吸収される時に長く小腸にとどまり、

粘膜で炎症を起こしたり、本来吸収されない他の栄養素や毒素が腸から漏れ出し

血液中に体にとって異物となるかたちで入り込んでしまうことがあります。

 

慢性的な不調の原因が実はグルテンであったということもあるかもしれません。

具体的には、こんなものがあります。

 

体のだるさ、関節痛、頭痛、風邪をひきやすい、鼻炎などのアレルギー症状、訳もなくイライラする、湿疹、蕁麻疹、繰り返す下痢便秘、胃部不快感、メタボ体質

 

いっけんすると、誰でもよくありそうな症状が多いです。

 

・検査が難しいグルテンの病気

グルテンによる症状をみると、先ほどもあったように分かりにくいものが多いので、

まさかグルテンとは気がつかないことが多いです。

また、アレルギー検査でひっかからないことも多いのです。

医療現場でもまだそれほどメジャーなものではないので

調べてみようとする機会も少ないでしょう。

もし今なんとなくある体の不調がグルテンの作用なのかどうか見るには

やはり一旦グルテンをやめてみて体の変化をみるのがよいのではないかと思います。

 

また、セリアック病というグルテンに対して免疫反応を起こす病気があります。

グルテンが小腸で消化吸収される時に不完全な消化となり、

これに対して免疫反応が起きます。

消化吸収障害を起こしたり、腸が萎縮したりします。

症状の度合いは人によって様々です。

重症であれば、体重減少や微量元素やビタミン類など

他の栄養素の消化吸収障害も起こします。

 

また、グルテン不耐症、グルテン過敏症といったものもあります。

いずれにしてもグルテンに対して腸で消化吸収がうまくいかなかったり、

アレルギー症状を起こすものです。

 

・なかなか難しいグルテンフリー生活

買い物をしている時、食品の表示をみると以外なものに小麦が含まれていること

を見つけられるとおもます。

とろみやコクをだしたり、加工品のつなぎとして小麦が使われているのです。

パン、パスタ、ラーメン、うどん、カレー(ルー)、てんぷらやフライの衣、

お菓子もですし、調味料、ハム、ソーセージにも入っています。

ですから、なかなか実践することがハードルが高いことも事実です。

 

また、グルテンには依存性があります。すぐ食べたくなってしまうのです。

グルテンが分解された時にできたペプチドの一種が血液脳関門という部分を通り抜け、

脳で麻薬のような作用をすると言われています。

日本では洋菓子店も多く、コンビニも多く誘惑が多いことでしょう。

心理的に抑圧は大きいと、もっともっと欲しくなるものです。

ですから反動で食べてしまうこともあるでしょう。

 

最近ではグルテンフリーと明記された食品があったり、

米粉、大豆粉などの食品も出てきました。

どうせ実践するなら楽しくできればと思います。

 

こういった理解を踏まえて、もし実践するのであれば

3週間から1ヶ月試してみることをお勧めします。

実践後の体の変化をみて、続けたいと思われれば是非続けてみてください。

もし途中でできなくなっても、自分を責めず楽しめる範囲で実践してみましょう。

 

しかし、大昔からある小麦なのに、どうしてこのような病気が増えているのか

と疑問がわきませんか?

そのお話はグルテンフリーについて その⑵でします。

 

 

私がへテロクリニックでこの仕事を始めたわけ(13)

前回(12)の続きです。

私の本当にしたいことは何だろう?

ここに(大学病院に)いつまで勤めるのか?

それまでそんなことは考えていませんでした。

とりあえずみんなと同じように働いていれば大丈夫とどこか安心していました。

ですから、実際に自分の人生について問われると

はっきりと言えませんでした。

このままではいつの間にか年をとって、

ある時、本当にこれでよかったのかと後悔するのではないか。

そう思い始めました。

 

では、私はどうしたいのか?

 

その時点で答えは出せませんでした。

このままずっと病院にいるわけではなさそうですが、

かといって具体的な展望も見えません。

しかし、考えてみると私は治療そのものよりも

患者さんと向き合うことが好きなのではないかと思いました。

昔から人と接することが好きです。

ですから病院での働き方にずっとモヤモヤがありました。

医療現場ではいつも時間に追われ、数値や画像ばかりに目が向き

実際に治療するはずのその人がいないような感じがしていました。

例えば患者さんの治療のカンファレンスをしていても

患者さん個人のパーソナルな情報が少ないのです。

これは実際のところ仕方がないことだと思います。

医師は多くの患者さんを診なければならず、予定にはない緊急の処置もあり、

余裕を持って人と接する時間を持てないのが現状です。

 

ではどうしたらいいのか?

とりあえず、ここで自分がやりたいようにやってみることにしました。

自分なりに工夫して患者さんと話す機会を設けることにしたのです。

もともと病状説明などはしていましたが、

もっとより深く、今抱える不安なこと、苦しい辛いことなど

感情面での改善を図りたいと思いました。

家族や仕事のこと、今後の生き方についても話しました。

 

実際にやってみるとこれはなかなか大変なことでした。

昼食はとらずに患者さんとの面談の時間に回します。

検査の合間の10分ほどの時間も家族の方を呼んでできる限り話をしました。 

それまで他の医師と一緒にとっていた休憩時間を断り

その時間を患者さんとの時間にあてるようになりました。

それまではチーム内ではタバコ休憩がありました。

私はタバコは吸いませんでしたが、付き合いというか、

チームで行動することが当たり前だったのでなんとなくそこに同行していました。

しかし、そういったことが無駄なように感じ始めました。 

また、私は患者さんからどう思われるかを気にしていたのでした。

医者なのに、患者さんがいるのに、患者さんを待たせているのに

私が休憩をとることで患者さんから批判されるのではないかという思いもありました。

自分の思う可能な限りの時間を面談の時間にしていきました。

実際にやってみて確かに患者さんとの時間は増えましたが

いっこうに患者さんが楽になったようには感じませんでした。

それどころか、常に相手からどうしたらいい?と依存されたり

いつでも話を聞いてくれるとすがられたりするようになりました。

話も堂々めぐりになりやすく解決にならないことがほとんどでした。

ある時は早朝6時に話がしたいと電話で呼び出され、

ある時は緊急の処置が終わらないから今日はお話できないと伝えても

終わるまで待つから聞いてほしいとせがまれ、夜の3時に面談することもありました。

それでも、どうしてわかってくれないの?といったことを言われることがあり

私はどうしていいかわからなくなってきました。

やらなければいけない仕事もどんどん溜まってきます。

保険などの書類、論文などの作成などがたまっていきます。

夜遅くに帰るとそのままコンビ二弁当を食べて眠る生活です。

自分の身の回りが荒れ果てていくようでした。

 

また、チームの関係性もうまくいかなくなりました。

休憩を断るようになってから

どうして一緒に行動をしないのかと言われるようになりました。

そう言われると人に合わせなければならないような気になってしまいます。 

今まではなんとも思っていなかったのですが、

共に行動することを強制されるように感じだんだん苦痛になりました。

 「今はその患者さんのことはいいから、こっちをやれよ。」

「お前わかったから、とりあえず休憩行こうよ。」

他の医師からそう言われると

自分の一生懸命やっていることを否定されているようで反抗したくなりました。

 

どうしてうまくいかないのだろう?

どんどん患者さんとも医師とも人間関係が壊れていくようになりました。

 

それでもやり続けていました。

自分のやっていることを誰かに認めてもらいたかったのでした。

(こんなに頑張っているのに)

睡眠時間も短く、食事もきちんと取らず、

イライラすることが増え、明らかにストレスが溜まっていました。

 

そのうち、内視鏡を持つ手がわずかに震えるようになりました。

検査の時に立っているのがやっとで、終わったとたんしゃがみこむようになりました。

朝から鼻血が止まらなくなることが出てきました。

ある時から毎日何度も作り続けている薬剤の作り方がわからなくなりました。

明らかに頭が回らなくなっていました。

 

私の体と心はもう限界になっていました。

私がへテロクリニックでこの仕事を始めたわけ(12)

入院患者さんにはいろんな方がいます。

 

私は出会う患者さんの言葉に影響されることや

考えさせられることも多くありました。

そんな中、ある人の言葉を聞いて自分の人生をどうしていきたいのか

悩み始めました。

 

80歳を超える男性が入院されました。

その方は癌ではなく総胆管結石という病気でした。

たまたま受けた健診で超音波検査をした時に

胆管というところに結石があり、今後胆管炎を起こすリスクがあるため

胆管結石の砕石をするため入院となったのでした。

 

初めてお会いした時、にこやかにとてもゆっくりとお話しされていました。

「あの〜、お世話になります・・です。あ〜っと。

先生にいろいろ聞きたいんですが〜え〜っと、何から話そうかな、、、。

僕の病気というのは、、、。」

とてもゆっくりと話し、少しとぼけたような感じでした。なかなか話が進みません。

聞きたいことがまとまらないのかな?

そう思いながら話に耳を傾け一つ一つ質問に答え、

今後の治療の予定を話していきました。

最後にわからないところや質問はありませんかと聞くと

突然人が変わったようにスラスラと話し始めました。

「ありがとう。きちんと聞いて説明してくれて。

いや〜こんなにちゃんと対応してくれると思わなかったよ。」

そう言いました。

「僕は人を見るのが好きでね、相手がどんな人なのか観察するのが好きなの。

お医者さんってどんな人なのか興味があったんだよ。君みたいな子は初めてだよ。

前に入院したところはさ、、、。」

なるほど、あえて自分を装ってこちらの反応をみていたのだと思いました。

名刺を差し出されると、誰でも聞けばわかる有名な会社の会長さんでした。

「君なら信頼できるよろしく頼むよ。」

ちょっとびっくりしましたが、そう言っていただき少し安堵しました。

えらい人だからとか、どんな人だからというわけではないのですが、

少なくとも患者さんとの間に信頼が得られなかったり

患者さんが言いたいことが言えなかったり

医師の言いたいことだけを言うような一方通行になることは

避けたいと思って意識はしていたのでした。

ただ、なるべくトラブルになることは避けたいといった思いもありました。

それにしてもわざわざそんなことするなんて、何か試されているようにも感じますし、

正直ちょっと、面倒だなとも思いました。

いろんな患者さんがいるけれどみんな本当にどんな人かわからないものです。

 

入院翌日に治療が行われました。

順調に内視鏡下で砕石をして、

特に問題なく翌々日には彼が退院することになりました。

胆管結石の場合は特に合併症などなければ一週間もせず退院になります。

その日は週に一度、チームのドクターで回診をする日です。

といっても4人と少ないのですが。

そこには私の上司にあたる先輩の医師もいました。

上司は内視鏡の治療の時に彼に会っているのですが、

鎮静剤で彼が眠った後に会っているので直接対面するのは初めてでした。

またチームでの回診は患者さんの状態も確認しますが、

どちらかというと患者さんの治療方針をチーム内の情報として共有をする

意味あいが強かったのでした。

 

チームで彼の部屋を訪れます。

彼の病気のことについてはチーム内で共有されていましたが

私は彼が周囲に対してわざと装うことについては話していなかったのでした。

私が一通り彼の治療後の経過をチームの医師たちに話をした後、

彼が私の上司に以前と同じような少しとぼけた感じで話しかけました。

「ねえねえ先生。ええっと、あなた、僕の治療に立ち会ってくださった先生?

あのね〜ちょっと聞きたいんだけど〜。」

「あ〜はいはいはい。じいさん、あとでちゃんとこっちから話すからね〜。」

そう遮って病室を後にしました。

私の上司はおそらく相手がボケていると思ったのだと思います。

他の医師もすぐに続いて部屋を出ました。

実際に後の予定も詰まっていたのでした。

私はしまったと思いましたが、もう時すでに遅しです。

私は彼に一礼して病室を去りました。

上司の去り際をみる彼の目つきの鋭さにドキッとしてしまいました。

 

「さきほどは大変失礼しました。」

回診が終わった後、彼の病室に行き謝罪にいきました。

 

「君はどうしてここに勤めようと思ったの?」

突然彼から聞かれました。

 

「そうですね、私は研修医の時に自分と同じ世代の方の癌の治療を経験して

癌で苦しむ人に自分がどうサポートしていけばいいのか

学んでいきたいと思って、、、。」

「君はここでそれができているの?ここでそれをやりたい理由は何?」

「それは、、、。そうですね。

私にはまだまだいろんな経験を積む必要がありますので、、、、。」

「ちゃんと考えなさい。どうしてここを選んだのか?

ここでいつまで働くのか?これからどうしていきたいのか?

どんな人間になりたいのか?自分にいま必要なことは何か?

自分にどんなことができるのか?

君の良さをどう活かしていくのか?

これからのこと、もっときちんと考えなさい。

本当にずっとここにいたいと思っているのかね?」

 

突然そんなことを言われるとも思っていなかったので、

私は黙ってしまいました。

 

「わかりました。ありがとうございます。」

 

実のところ、彼から指摘される前からずっと悩んでいたことだったのでした。

私はこれからどうしていきたいのだろう。

確かにここにいると多くの患者さんに会います。

ただ毎日忙しさに追われ、流れ作業のように患者さんの対応をしていき

一人一人と向き合う時間があまりにもないと感じていました。

やるべきとされていることも多く手が回らないとも感じていました。

論文を書く、研究をする、学会に出るための発表をする、資格をとる

日常の業務以外のことの方が興味のある人も多くいました。

私はそちらに関しては全く手がつけられず

自分はダメな人間だと落ち込むこともありました。

このままで本当にいいのだろうか。

こころのことを学びたいと思っていたものの

そんな余裕はなく、周囲に流され、

いつの間にか周囲と同じようなことをするのが当たり前のようになっていました。

 私はこれからどうしていきたい?

 

彼が退院の日、

「これからも頑張って。君なら大丈夫。」

そう言われたものの

これからどうしていこう?私がここでできることは?

答えが出せずにいました。