ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑵

誰かにとっての「いい人」であることは自分自身を苦しめることになります。

 

いい人は損するとどこかで聞いたことありませんか?

家族思いで

みんなにやさしくて

みんなのために頑張って

みんなのために犠牲になる

そんな人がいました。

 

とても真面目な女性でした。40代ぐらいだったと思います。

仕事は学校の先生をしており、独身であったそうです。

彼女は肝転移のある手術不能の胆嚢癌でした。

入院の時、彼女の付き添いには母親がいました。

病室のベッド周りはいつ行っても整えられており、

我々が診察に行くと、さっと正座を座り直していました。

とてもきちんとしているといった印象でした。

病室で初めてお会いした時はベッドの上で両手をついて

先生方にお任せしますと頭を下げられるような方でした。

彼女と彼女の母親に病状説明や治療法などをお話しする時は、

熱心にメモをとりながら聞いていました。

イメージですがお医者さんにとっての良い患者さんといった感じでしょうか。

 

 彼女の母親がお見舞いに来た時、ふいに私に声をかけました。

「うちの子は本当にいい子なのよ。なんでも私の言うこと聞いてくれてね。

いつも私のこと気にかけてくれて。真面目でね、仕事も一生懸命なの。

ずっと仕事一筋で頑張ってきたのよ。嫌なこともいつも我慢してやっているの。

だからね、お願いね。助けてね。」

 

進行した胆嚢癌は抗癌剤の効果が低く、かつ有効な治療薬も少ないです。

抗癌剤の投与が始まりました。

すると薬を投与後すぐに全身にひどい蕁麻疹が現れました。

薬によるアレルギー症状です。

こうなってしまうとこれ以上同じ薬を使用することが危険になります。

止むを得ず、一旦中止になります。

症状が落ち着いてから再度別の薬を使用することになりました。

しかし、また全身にアレルギー症状がでてしまったのです。

そうこうしているうちに、もともとあった肝転移の影響もあり

肝機能が悪化してしまいました。

薬自体を安全に使用することが難しくなってしまったのです。

こうなってしまうと病院でできる手段はなくなってしまいます。

 

現状を説明すると、

「助けてくれるって言ったじゃない。恨んでやる、呪ってやる。」

突然今までの彼女と人格が変わったようになりました。

「なんとかしてくれるって言ったじゃない。なんとかしてよ、先生。」

肝不全状態になり、黄疸で黄色い目で我々を見つめながらに訴えます。

その空間は重く異常に歪んでいて、

私は立っているのが精一杯になることもありました。

しかし、どうすることもできませんでした。

そのうち転移巣が大きくなり胆管を圧迫し胆管炎も起こしました。

黄疸と発熱で黄土色の汗をかき、

ふーふーと荒く息をしながら黄色い目でこちらを睨みつけました。

「呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる。 」

診察に行くたびにそう言いました。

そのうちに彼女は亡くなりました。

 

死亡確認に立ち会った母親は発狂していました。

腕をブンブン振り回しながら、叫びました。

「死んじゃった、死んじゃった。なんで死ぬのー。なんでー。わーーー。」

訪れた親戚達もあんなにいい子がどうしてこんなことにと口々に言いました。

 

大学病院にいた当時、癌の治療をしている時に

患者さんたちが自分の死に直面し動揺する場面を何度もみました。

治療中に自分自身のなかで起きている出来事を消化し

自分の人生を見つめ直している方も多くいました。

 

彼女は、どうだったのでしょうか。

ひょっとするとずっと人生のなかで

何かを我慢をしてきたのではないかと思ってしまいました。

最初の出会いの時もよい患者であろうとし、

家族にとってもよい人であろうとし、

想像でしかありませんが、職場でもそうだったのかもしれません。

自分の苦しい思いを押し殺し、我慢し、我慢し、頑張って、頑張って、

人のために生きてきた。

それなのに、なぜ。なぜ私がこんな目に。

その怒りや悲しみが私たちに向けられたような気がしました。

 

自分の人生は自分でしか生きることができません。

自分の人生を誰かが肩代わりすることはできません。

自分の人生は自分でしか思い通りにできません。

自分の身に起きることは自分でしか責任がとれません。

 

他人のために生きても、それが他人のためになっているかどうかわかりません。

他人のために生きても、自分が幸せになれるとは限りません。

他人のために生きても、他人から本当に喜ばれるかわかりません。

他人のために生きても、自分がこころから喜べるかわかりません。

 

人が本当の自分の人生を満足に生きるにはどうしたらよいのだろう。

当時はそんなことばかりを考えていました。