ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑸

子供は生まれる前、空の上から親を選んでやってくると聞いたことがあります。

私たちはどんな縁があって自分の親を選んだのでしょうか。

 

研修医で小児科を回っていた時のことです。

神経疾患の子ばかりが集まった病室がありました。

その部屋には脳性麻痺の子たちがベッドで横たわっていました。

彼らのほとんどの親は面会時間と共に病室に訪れて、

面会終了ギリギリまで子供につきっきりであることが多かったです。

ベッドの上の彼らは呼吸器につながれ、話すことも、動くこともなく、

体はだらりとしていました。

お母さんたちはいつも本を読み聞かせたり、一緒に眠ったりして過ごしていました。

 

そんな中、別の病室に比較的麻痺の症状が軽く、

私と目が合うともキューっと言いながら笑う子がいました。

その子は年齢よりもずっと体が小さく、体は拘縮しています。

言葉を発することはありません。気管カニューレがあります。

ですので、時々痰を吸引していました。

吸引する時はとても苦しそうでしたが、「吸引するよ。」と声をかけると、

頷きはしないけれどもなんとなく目でオッケーを出すような表情になり、

終わると穏やかな表情に戻ります。

私には彼がこちらの意図を十分理解できているように感じました。

診察で私が彼に会いに行くと、いつも表情がぱっと変わり、

動きにくい体をほんの少し動かすのでした。

指導医の先生も彼のことをSちゃん、Sちゃんとよく話かけていました。

しかし、彼のところにはいつも親の姿はありませんでした。

全身に湿疹ができており、いつも痒そうにしていました。

指導医の女の先生は、自分の子供のように率先して彼の体に軟膏を塗っていました。

表情豊かな彼に会うのは私も楽しみでした。

ある時、彼の着ている服が随分大きいことに気がつきました。

その服は看護師さんなど病棟のスタッフから寄付されたものでした。

彼の両親は彼が生まれてから、こちらから必要な連絡をしないかぎり

病室を訪れたことがないと聞かされました。

もう生まれてから約9年間そんな状態なのだそうです。

指導医の女の先生が、

「私がもし結婚できないならSちゃんを養子にもらいたいな。

私の方が一緒にいる時間が長いしね。」

そんなことを言ったこともありました。

 

ある時、契約書や同意書などを記載する必要のある書類がたまっているため、

指導医の先生が彼の両親に連絡を入れました。

その時、私は初めて彼のお母さんに会いました。

「洗濯していただきたいものもたくさんあるので、病室によってください。」

看護師にそう言われ、彼のお母さんが彼の病室に入りました。

お母さんは特に息子の顔を見ることもなく、淡々と洗濯ものを集めていました。

私はふと何気なくお母さんの横にいるSちゃんの表情を見て驚きました。

いつもの表情はなく、今までみたこともない能面のような表情をしていたのです。

体を動かすこともありません。

こわばっていて、表現が悪いですが固まった置物のようになっていました。

言葉は一切発されないのに、緊張感の漂うその空間には

怒りや悲しみに満ちているようでした。

私はその場にいることが苦しくなってしまうほどでした。

お母さんは結局一切息子には関わらず立ち去りました。

 

医療が進み、安全に出産できることが

当たり前のように思われることが多くなりました。

しかし高齢出産が増え、大きな持病がありながら妊娠できる方も増え、

また、妊娠中もやむを得ない事情でギリギリまで頑張る人もいたり、

出産のリスクがあがっていることも事実です。

 

研修医だった当初、私は初めて会った彼の母親に対して怒りを感じました。

どうしてもっとそばにいてあげないんだ。

どうして話かけてあげないんだ。

どうして目をみてあげないんだ。

 

しかし今考えると、

出産後の彼の状態にお母さんは向き合えなかったのかもしれません。

彼の状態にショックを受けたのかもしれません。

後から聞きましたが、実はSちゃんには弟がいて

弟は家族と一緒に過ごしているそうです。

ですからお母さんは子供がきらいなわけではなかったと思います。

ひょっとすると医療者側に対して不満もあったのかもしれません。

もちろん、本当のところは本人たちにしかわかりません。

しかし、Sちゃんはほとんど会うことのない母親をしっかり認識し

様々な感情を抱いていたのではないかと思いました。

言葉を話すことはなくても、

感情というコミュニケーションを使って

必死に訴えていたかもしれません。

 

私には子供はいません。

ですので、妊娠出産子育ての大変さはわかりません。

しかし、お互いに目を合わすことのないその空間の中にいた時

私は震えを感じました。

 

出産の瞬間、親に会う喜び、子に会う喜び

初めて肌で感じる安心できる存在、愛おしい存在

そんなことを勝手に想像していたのですが、

本来はどんなものなのでしょう。

人それぞれなのでしょう。

 

もし前世というものがあるのであれば、

二人は何か縁があって再び出会った関係なのかもしれません。

しかし、今世でお互いに分かり合えないのは非常に辛いと感じてしましました。

 

どういった状況であっても、素直にコミュニケーションがとれたら

親子関係ももっとうまくいくのかもしれません。

 

彼のお母さんが安心して相談できる場があったら

ひょっとしたら彼との関係性も変わるかもしれない。

 

わだかまりのない親子関係ができるように

どんな人でもこころを開ける環境がもっとできたらと思っています。