ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑹

どんな人生を送りたいか、生きる上で自分が何を大切にしているか

そういったことを軸に人生の選択をしているのであれば

例え、他の人からみればおかしなことであっても

その人にとっては幸せな人生を送ることができるのではないかと思っています。

 

病院勤務時代のことです。

ある時、90歳を越える男性が入院しました。

その方は私ではなく別の医師が担当となった膵臓癌の患者さんでした。

彼には自宅に寝たきりで介護の必要な奥さんがいました。

「妻の介護が僕の生きがいなんです。できるだけ長く生きたいです。

僕が先に死ぬわけにはいかないんです。治療をしてください。

お願いします。お願いします。」

何度も頭を下げられ、膵臓癌抗癌剤治療を強く希望されていたようでした。

 

通常抗癌剤は、全身に負担がかかるものです。副作用も多くあります。

消化器症状といって食欲不振、嘔気、下痢などの症状や

腎臓や肝臓の機能を悪くしたり、

血液を作り出す機能が低下し、貧血や出血傾向になったり、

感染症にかかりやすくなり、ちょっとした風邪が重症化しやすくなったり、

その他にも様々な症状がでます。

いかに副作用を少なくして癌の治療ができるか、さじ加減が必要なのです。

病気をおさえることと副作用のバランスによって治療されます。

 

ましてや、彼は90歳以上とこちらからみれば超高齢です。

いくら元気であっても、みえない部分の体の機能低下はあることでしょう。

治療をすることのほうが危険とも考えられます。

それでも彼は強く治療を希望していたのでした。

夜の病棟会議で医師の間で彼の話がされました。

彼には寝たきりの奥さんはいましたが、それ以外に家族はいませんでした。

一番近い親族で、奥さんの妹の姪御さんでした。

ほとんど交流もない状態だったようでした。

当然その方にも連絡もしたのですが、

基本的には本人の意思を尊重したいとのことでした。

また、各種検査で彼の体の状態は想像以上によく、

高齢であること以外には他の臓器の機能も問題がなさそうでした。

また病状の理解や治療の危険性なども本人は十分に理解されていました。

様々な状況を踏まえ、何よりも彼の治療の強い意思が

担当医に響き、他の上級医達を交えた相談の結果

彼は低用量ではありますが抗癌剤治療をすることになったのでした。

 

入院期間中は特に問題なく抗癌剤治療を終えることができ、無事退院になりました。

通常、抗癌剤治療はまず入院して行います。

副作用などを確認し、安全に行えるかの確認が必要であるからです。

ですから、入院治療で問題がなければ

その後は退院して外来で治療を受けることができるようになります。

 

外来では私が彼を担当することになりました。

小柄な体でカートを引きながら週1回、月曜日に診察にやってきます。

「体の調子はいかがですか?」

「うん、大丈夫。」

奥さんの状態なども聞きつつ、血液検査の結果や体の状態を確認して

抗癌剤ができるかどうか判断していました。

 

ある時から血液検査の結果が思わしくなくなってきました。

かなり貧血が進んでいるのです。

「今日は申し訳ありませんが、体の状態があまりよくなさそうです。

貧血が進んでいます。貧血になると心臓にも負担がかかります。

今は薬を使うと危険です。今回はやめましょう。

どのぐらいで回復するのか見ていきながら治療していきましょう。

次週またお越しいただき、血液の状態をみて方針を決めましょう。」

「そうですか、、、。」

抗癌剤を使用する間隔を延長し血球が増えるのを待って

治療する方針になったのでした。

(どこまで続けられるだろうか、、、。)

私は上級医に相談しながら治療をしていました。

そもそもここまで高齢の方の抗癌剤治療は他の医師も経験がありません。

そして、治療ができなくなった段階のことも考えていたのでした。

彼の身の回りのケアをどうするのか、

家にいる奥さんの介護はどうするのか、

親戚の方にも状況を知らせておかなければ、、、。

病院にはケアマネージャーさんという方がいます。

患者さんや家族の方の福祉サポートをする方たちです。

彼らとあらかじめ連携をとりながら、今後のことを話し合っていました。

家で介護をしているのですから

彼の状態が悪くなれば奥様の状態にも影響します。

治療ができないということは、それなりの状態を想像しておかなければなりません。

二人ぐらしができなくなった時の対応、

再度入院を余儀なくされた時の対応、

また私も親族の方と病状を報告しながら経過をみていました。

 

その後は治療できないことの方が多かったのですが、

彼は診察には毎週来られていました。

体の状態を確認する上でも必要なことでした。

通院できないのであればそれだけ体調がよくないということですから。

また、周りにも彼ら夫婦を常にみてくれる人はいません。

 

ある時、彼は待合い室に着くなりソファに倒れこみました。

よくみると失禁していました。

「・・さん、もう治療はやめましょう。家のことも今の状態ではできませんでしょう。

入院しましょう。奥さんも誰かみていなければならないから。」

小さくうんと頷き目を閉じていました。

 

しかし入院できるベッドがありません。

病院のベッドが満床なのです。

親族にも連絡をとり、ケアマネージャーさんたちと連絡を取り合い

なんとか二人部屋の個室のある療養施設を探すことができました。

いろんな人たちの協力があって二人でいられるように配慮していただきました。

通常こういった形ですぐに入院できるようなところが見つかることはありません。

どの施設や病院もそうですが、ベッドが埋まっていたりと

理想通りにはいかないものです。

その後どういう経過になったかはわかりません。

しかし、ずっと寄り添って生きてきた二人が

バラバラにならず、過ごせるようになったのは

もちろん周りのサポートがあってですが

彼の熱意によるところが大きいのではないかと思いました。

彼は満足だったでしょうか?

それは彼でないとわかりません。

しかし、私はよかったと思いたいです。

 

今回のケースは通常の治療行わない病院もたくさんあると思います。

批判的な意見もあるかもしれません。

医療的な立場としても危険であることも承知し

十分お互いに納得の上での治療でした。

私も他の患者さんであればその方の状態によって治療をお断りすることもあります。

 

癌の治療を希望されない方、治療を望まれる方、

様々な人がいます。

その人の状態や家族の方を含め様々な要素が関わり

ベストな治療はコレですと断定することはできないのではないかと思います。

 

抗癌剤治療をしてまで生きたくないと思う人もいます。

今の医療自体に批判的な人もいます。

その批判の原因が何によるのかによっても結論は変わると思います。

ただ現実に向き合えないのであれば、それをサポートする必要があります。

確かに過剰な医療で患者さん自身が生きる意味を見失うこともあるかもしれません。

ですから、治療側は常に冷静に広い視野をもつ必要があります。

一方でいかなることがあろうとも生きたいと思う人もいます。

確固とした生きる理由があるのです。

もちろん医療者も闇雲に患者さんの言われるままにすることはできません。

十分な理解がされた上で行い、危険なことは危険であると伝え

本当に安全なのか常に観察しながらみていく必要があります。

 

同じ病気であっても年齢や体の状態だけで、

この治療が正解と言えない時代になってきているのではないかと思っています。

 

私は、当事者が一番満足できる方法を一緒に探していくサポートが

必要であると考えています。