ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑻

子供は大人が常に見守っていなければ成長できないでしょうか?

もちろん、子供の成長には親や周囲の存在が大きいです。

しかし、子供は大人の知らないところでもしっかり成長しています。

子供の成長を見て大人のほうが勇気をもらうこともあるかもしれません。

 

研修医で小児科を回っていた時のことでした。

体中にあざができ、妙にぐったりすることが多いと

母親に連れられてきた子供がいました。

季節は春になった頃、多くの人が新生活を始めたばかりです。

彼Hちゃんは病院に来る数日前に小学校の入学式を終えたばかりでした。

 

Hちゃんは白血病でした。

小児科には同じ白血病の子供達が何人かいました。

Hちゃんは白血病の子供達が集まった部屋に入ることになりました。

まだ幼稚園を終えたばかりで、その部屋では一番年下でした。

 

 「お母さーん、お母さーん。ママー。」

入院後から一人でよく泣いていました。

突然一人で病院で過ごすことになったのですから無理もありません。

これから自分の身に起きることがどんなことかもよくわからないのです。

 

主治医からお母さんとお父さんも立ち会って病気の説明がされます。

これからどんなことをするのか一緒に話をしますが、

大人であっても気持ちの整理がつかないことでしょう。

混乱している様子がよくわかりました。

 

検査も次々行われていきます。

骨髄穿刺といって骨髄から血球成分などを取る処置がされたり、

首元の大きな静脈に直接薬を注入できるように、

血管にカテーテルを入れる処置がされます。

検査や処置のたびに大泣きして暴れますが、仕方がありません。

なんとか説得をしながら検査は進みます。

 

治療が始まりました。基本的な治療薬は注射液としてカテーテルから入ります。

これにより免疫力が極端に低下するため、

抗菌薬、抗真菌薬など数種類を服用する必要がありました。

それは飲み薬で苦くてまずいものもあります。

少し口にして、ペっと出して、また泣き出してしまいます。

「やだよう。飲めないよ〜。いやだ〜。」

そうは言っても、なしにすることはできません。

そうしなければ、この子が危険になるのですから。

「いやだね。でも飲もうね。病気と闘うんだよ。」

「やだよ〜。どうして僕ばっかり。」

やっと飲めた頃には次の薬の時間になってしまいます。

見ているこちらの方もどんどん辛くなっていきます。

どうして僕ばかりなのか、それに答えることはできません。

でもそうするしか方法がないのです。

だんだん自分が悪者のように感じてしまいました。

お母さんも必死です。

「私も一緒に飲むので薬をください。」

しかし、それはできません。そもそも正常な体に必要なものではありません。

「じゃあ、もっと工夫するとか先生たちは考えないんですか?

これじゃ子供がかわいそうじゃないですか。」

部屋で怒鳴られることもよくありましたが、

そうはいっても方法も見つからないのです。 

お母さんも常にどうしたらいいのかを探り続けているのでした。

食べ物にも気をつけなければなりません。

免疫力が低下している状態であるため、通常なら問題なく食べられるものでも、

感染のリスクがあります。生ものはもちろんですが、

作られてどのぐらいの期間おかれているかなど考慮が必要なのです。

 

抗癌剤の効果で髪が抜け始めました。

ベッドの上でコロコロと粘着テープを転がしながら

泣いている姿は正直みていられませんでした。

薬の影響でだるさや食欲不振が出始めると、ベッドに横たわって

ほとんど動かないような日もありました。

人との接触も限られます。

友達にも会えず、お姉ちゃんもいましたが、

学校からの感染症の持ち込みのリスクがあり面会ができませんでした。

兄弟にも会えず、心細い日々を送っていたかもしれません。

 

そんな日が続きましたが、ある時から自分から薬が飲めるようになりました。

「だって、これ飲まないと僕死んじゃうんでしょ?」

そう言われて、一瞬私は胸に込み上げてしまいました。

プルプル震えながら薬を飲むようになりました。

自分の中で決意が固まったのかもしれません。

生きるには戦わなければ。

子供の身にはかわいそうであっても、病気になった当人が立ち向かうほかないのです。

私は研修医の身であったので、彼の寂しさや辛さが少しでもなくなればと

時間があれば可能な限り一緒に遊ぶようにしていました。

そのぐらいしかできることが思いつきませんでした。

当時流行っていたアニメや好きな映画を一緒にみたり、カードゲームをしたり、

遊んでいたというより遊んでもらったといったほうが正しいかもしれません。

「もう、ちがうよ。そんなこともできないの?」

私もそんなことを言われながら、

Hちゃんがだんだん環境にも慣れていった様子に安心しました。

その頃から周囲のお兄ちゃんたちとも遊びようになっていきました。

 

実はずっと不思議に感じていたことがありました。

同室の同じ白血病の子供達のHちゃんへの対応のことです。

当初どれほどHちゃんが泣いても全く気に留めていない様子でした。

慰めるわけでも、怒るわけでも、励ますわけでもなく

いつも普段と変わらない様子でいたのでした。

各々がベッドの上でゲームをしたり、漫画を読んだり、

時々男の子同士で話もしますが、

Hちゃんに関して特別関わろうともしていないようでした。

なぜだろう?

かといって特別Hちゃんを無視をしている様子でもないのです。

無理に声をかけず自然に過ごしているような気がしました。

後から考えたことですが、

本当はこの子たちが一番わかっていたのではないかと思います。

病気になったことがショックで、怖くて辛くて

でも、どれほど悲しくても自分で立ち向かってきた子たちです。

どんなに周りから励まされても、かわいそうと泣かれても

自分で立ち向かうしかないのです。

それまではどうしても自分で辛い気持ちと向き合わなければならないのです。

わかっていたからこそ、そのままの状態で見守っていてくれたのではないか

そんなことを思ったのでした。

 

Hちゃんの気持ちが落ち着いてお兄ちゃんたちと遊ぶようになった頃、

同じ年頃の白血病の子が入院しました。

その時、Hちゃんもまた静かに彼を見守り、

落ち着いた時に少しづつ話しかけていた様子でした。

 

子供が病気になると親は変わってあげられたらと思うでしょう。

しかし現実にそれは不可能です。

それがその子の身に起きている現実なのです。

そうであるのなら、可能な限りのサポートしたいと思うでしょう。

一緒に苦しむ、一緒に悲しむこともできます。

しかし、一緒の気持ちになることが本人にとってプラスになるとは限りません。

その子のあるがままを受け止めて、

子供が立ち向かえると信じられるように私は家族の方もサポートしていきたいです。 

現実には難しいことが多いと思います。

しかし、病気を乗り越えた子は今までになかった強さを身につけています。

同じ病気の子をサポートしたりすることもできます。

 

Hちゃんが入院して1年後に、再び病院で会いました。

その日はHちゃんが退院して、1ヶ月後の検査の日でした。

「先生〜。」遠くから呼ぶ声ですぐにわかりました。

もう1年で随分大人になったように感じました。

 

子供でも大きな壁に立ち向かわなければならないことはあります。

親であれば子供がかわいそうと思うこともあるかもしれませんが、

それを乗り越えた子達だからこそ、強くやさしい人になれるかもしれません。