ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑷

長い癌の治療ののち、もう治療ができないと言われた時、

あなたならどうしたいですか?

 

研修医の時です。

12月の寒い頃でした。

ボウズ頭の穏やかな顔をした患者さんがいました。 

彼は食道癌で入院していました。

彼のベッドサイドにはいつも「美味しんぼ」という漫画が積まれていました。

診察に行くと大抵その漫画を読んでいました。

漫画好きなんですか?と聞くと

「好きだよ〜。食べるのも好き。」

とにっこり答えていました。

 

彼の癌は食道の内部をほぼ塞いでいるので、

普段の食事は液体しか飲み込むことができませんでした。

今はなんとか液体の栄養剤を食事として飲んでいますが、

このままではいずれ完全に食道を塞いでしまいます。

本当は人一倍食べたい気持ちが漫画にあらわれているようでした。

 

その後、彼には食道ステントという食道内に金属性のステントを入れて

食堂内腔を押し広げるという処置がされました。

処置は無事に終わり、術後のレントゲンでも

ステントは癌の部分で広がって食道の内腔が開いているのがわかりました。

食道が広がり少しづつ液体から食事が始められ

徐々に形のある食事に切り替えました。

そして数日後には固形の食事が食べられるようになりました。

 

年末のことです。

彼は一旦退院して自宅に戻ることができるようになりました。

ただし、病院で行ったことは根治術ではないので、

いずれ癌はステントを破って成長します。

その間だけでも、せめて食べたいものを食べてほしい。

そう願っていました。 

しかしその翌日の元旦でした。彼は救急車で病院に戻ってきました。

レントゲンで確認すると、入れていたステントはぐにゃりと曲がっていました。

癌によってステントが変形してしまったのでした。

内視鏡で食道のなかを確認すると、中に食残がありました。

その一番上に、ほんの数ミリほどの小さな白い丸いものを見つけました。

ビービー弾のような形です。

吸引して取り出すと、裏側がオレンジ色をしていました。

それはイクラでした。

お正月でたべたのでしょう。

そのイクラをみて私は悲しい気持ちになりました。

イクラも通らなかったのか。

食道癌の進行は想像以上に早く

その数日後、彼は亡くなりました。

 

私は当時とても悲しかったのですが、

彼はお正月を家で過ごし、食べられないと思っていた好きなものを

口にできたかもしれません。

どんな気持ちだったのでしょうか?

私は本人でないのでわかりませんが、

私のエゴかもしれませんが

一瞬でもよかったと思える瞬間があったらいいなと思ったのでした。

 

医療は完全ではありません。

進行した癌は現代の医療でもどれほど頑張って治療しても

根治できないものもあります。

しかし、どういう状態になっても人間らしくあってほしいと願います。

美味しいものだって食べたいはずです。

 

どんな状態でも諦めず自分の思うように生きる

そこに意識を向けて生きることができる人が増えたらと願っていました。

 

そのために私はどうしたらいいでしょうか?

当時はそんなことを考えていました。