ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑶

自分の死を予感した時、人によってその反応は様々です。

 

土曜日のある日のことでした。

その日の外来が終わろうとしていた頃、

90歳近い小さなおばあさんが救急車で運ばれてきました。

腹痛があるということです。

診察でお腹をみようと服をめくってみると

中央にポッコリと野球ボールほどの膨らみがあります。

どうやらそのあたりに痛みがありそうです。

早速、CT検査でお腹の中を確認しました。

すると、とても大きな腹部大動脈瘤がありました。

大動脈は心臓に直接繋がった太い血管で、

全身に血液を送り出すための根幹のようなものです。

その大動脈にできた瘤状の血管が大動脈瘤です。

瘤の内部に圧力がかかるとだんだんと大きくなります。

写真でみると周囲がぼんやり不鮮明になっており、今にも破裂しそうでした。

 

動脈瘤は血圧が高くなると、大きくなり、破裂する可能性があるので、

血圧を下げる薬を使用します。

また大きいものは手術が必要になります。

彼女はかなり高齢であり、破裂のリスクはありましたが、

手術をすること自体がとてもリスクが高い状態でした。

本人も家族も手術ではなくなるべく自然な形で過ごしたいとの希望があり、

そのまましばらく病院で安静に過ごすことになりました。

病室に入ると、安心したのか笑顔でした。

「ありがとう。もう十分に生きたわ。手術もしないし、よかった。ゆっくりするわ。」

「なんだかお腹痛いの治っちゃったの。」

「安心しちゃって、でも少し休みたいから、みんな今日は帰ってね。」

 ニコニコしながら、まるでなんともなかったような様子になりました。

 

家族の方も、いつ破裂してもおかしくないものの

手術をしないのであれば、このまま安静にして様子をみることしかできないし

そうね、一旦帰るねと帰って行きました。

 

私は家族の方には破裂した場合は一気にお腹の中で出血し

失血死になることを伝えていました。

突然死のようなものです。

それでもここまで元気にいてくれたからねと

家族の方は言い帰って行きました。

 

家族が帰ってほんの数分後のことです。

検温や血圧測定のために看護師さんが病室に入りました。

すると、彼女は息をしていません。心肺停止状態です。

誰も気がつきませんでした。

すぐに私が呼ばれ、布団をめくってみると、

先ほどまであったポッコリしたものがなく平らなお腹になっていました。

破裂したのでしょう。

 

すぐに家族に連絡がいき、家族は病院に戻りました。

 

彼女はとても穏やかな顔をしていました。

家族に心配させたくなかったのでしょうか。

病院に来て腹痛の原因もわかり家族を安心させて

静かに一人で亡くなっていったようでした。

 

潔いというか、すっと幕を下ろしていったような感じでした。

家族の方も悲しむというよりは、

なるほど、そうなのねと納得の表情をされていました。

 

人は自分の死を予感するのでしょうか?

 亡くなる前のあの時の彼女の行動をみるとそんなことを思ってしまいました。

 

彼女の亡くなり方は少なくとも苦しんだりといった死ではなかったように感じます。

死に直面すると多くの人が悲しみ、苦しむといったイメージが

私の中でくつがえったようでした。

 

自分の死に恐怖を感じる人は多くいます。

どんなに自分が高齢であっても、

例え何人も患者さんのお看取りをしている医者でも

自分の死を恐れる人の方が多いです。

100歳を超える親を持つ人であっても親の死に納得がいかない人もいます。

ずっと生きていてほしいと願う人もいます。

 

一方で、死を受け入れているかのような人もいます。

その人の生涯を見守るような家族もいます。

もちろん、お世話になったし、いなくなるのは寂しいけれど

それまでの関係に満足しているので悔いがないという方もいます。

 

この違いは一体なんなのでしょうか。

 

ひょっとすると、それまでの生き方が関係しているのかもしれません。

どのように生きたら満足して死を迎えられるのでしょうか?

 

私にとっては重要な出来事でした。