私がヘテロクリニックでこの仕事を始めたわけ⑴
「誰のための治療なのか?誰のための人生なのか?癌告知と患者さんの生き方」
こんにちは。ヘテロクリニックの高木です。
私はもともと病院で消化器癌の治療をしていました。
そこでの経験から、人がもっと自分らしい人生を生き、充実し納得できる人生にするにはどうしたらよいのかを考えていました。
今回からは、ヘテロクリニックで自由診療をするに至った経験を少しずつ書いてみようと思います。
癌の告知についてみなさんはどんなイメージがあるでしょうか?
患者さん本人、そして家族の方、それぞれ様々な思いを抱きます。
もし自分が癌になったら、もし家族が癌になったら
どのように感じると思いますか?
それは、私が研修医の時です。夜間の当直業務をしていた時でした。
外来に車椅子を押されてやってきた女性がいました。まだ30代前半と若いのですが、やせ細っており、顔色は悪く、両足が象のようにパンパンにむくんでいました。数ヶ月前から体がだるくて、足がどんどんむくみ、歩くことが大変になっているとのことです。
早速検査となります。CT検査を受けると、骨盤内のありとあらゆるリンパ節が腫れており、その一部が両大腿の付け根の血管を圧迫しています。これにより、血流障害を起こし大きな血栓もつくっていました。血流障害のために静脈血が心臓に流れず両足がむくんでいたのでした。さらに、リンパ節が腫れている原因を調べると、大腸に腫瘍がありました。大腸癌のリンパ節転移だったのです。
彼女は新婚3ヶ月でした。長年付き合っていた彼を結婚し、つい最近まで結婚式のドレスを着るためにダイエットに励んでいたそうです。ですから自分が痩せていくことになんら疑問を持っていませんでした。
そのまま彼女は緊急入院となりました。まず血栓の治療が必要になります。血栓が突然剥がれてしまうと、肺の血管に流れ込み、肺塞栓を起こしてしまうからです。これは場合によっては突然死のリスクがあります。
私は指導医と同席し、まず指導医から彼女と夫に病状と治療の説明がされました。
この時、癌であることは伏せられていました。
・両足の静脈が腫れているリンパ節によって圧迫されていること
・これにより血流障害を起こし、血管に沿って大きな血栓を作っていること
・そのために血栓を溶解する治療が直ちに必要であること
・血栓が剥がれた場合、この血栓は肺を栄養する血管に流れ込み肺塞栓を起こし、場合によっては突然死のリスクがあること
・点滴による血栓溶解療法のためベッド上安静になること
・今後リンパ節腫脹の原因を探る検査をしていくこと
彼女が病室に戻った後、付き添いに来ていた夫のみ呼び出し、彼女が癌であることが告知されました。うつむきがちで多くは話さない彼でした。癌の告知について、家族のサポートが必要になること、病状の進行からは抗がん剤治療になることが話されました。
ところが翌日から彼と連絡が取れなくなってしまいました。昨夜の話がショックであったのだと思います。
彼は会社にも出勤しておらず、彼女の携帯電話に彼が出勤していないとの連絡が入ったのでした。彼女は心配であるから退院したいと申し出ましたが、そういうわけにはいきません。血栓の治療を始めており、不用意に動けば血栓が剥がれ塞栓症のリスクが高かったのです。
それでも彼女が心配であることにはかわらず、病院側としてもこれから彼女に話をする上で彼と話をする必要があります。彼女への癌の告知や治療をどう話していくかというところで止まってしまっているのです。それでも数日の間彼と連絡がとれないため仕方がなく、彼女の実家に連絡をすることになりました。
東北から彼女の父親がやってきました。
お会いして、すぐに指導医から彼女の病状が話されました。大腸癌であること、転移したリンパ節により両足の血管が圧迫され血栓があること、血栓が肺血管に流れると肺塞栓を起こし急変のリスクがあること、まず血栓の治療をしている状態であることが話されました。その後癌の治療を始める方針であるが現在はまだ未告知であることが伝えられました。
父親はショックとともに彼への怒りをあらわにしました。
彼女に対してはかわいそうだから実家に連れて帰りたい。
連れて帰れないなら告知せずに治療をしてほしい。
と話ました。
しかしそういう訳にはいきません。
その後、夫と彼女の父とで彼女不在のまま
彼女の治療方針のことを何度も話し合われました。
しかし話は一向に進みません。
父「どうしたらいいのか。かわいそうだ。そもそもお前がこうだから。」
医師「ちょっと待ってください。そうではなくて彼女の治療の話ですよ。」
父「告知しないで治療をする方法はないのか。どうにかしてくれないか。だから結婚なんて反対だったんだ。」
夫「どうしていいかわからない。」
癌の治療には本人への告知が必要であることが伝えるのですが、そこから話が進みませんでした。
当時私は研修医であったので、立ち会って話を聞いているだけでしたが、
その場に彼女がいないことが不自然でなりませんでした。
父親は彼女のことを思い告知をためらいます。彼女を思い治療は望みますが、癌である現実に向き合わせるのがかわいそうといった感じでした。
夫のほうはこの状況から逃げ出したいのかほとんど黙ったままでした。
どちらも現実と向き合えていないような感じがしました。
結局長い話し合いの末、医師と彼女との二者間で告知がされました。
本人はやっぱりそうだったのねと少し涙は流しましたが、すぐに治療を決断しました。
以前と変化しつつありますが、日本では癌であることを本人に隠すことが多くみられました。実際に1980年代は告知なしで癌治療をされたことのほうが圧倒的に多かったようです。1990年前半になって告知率が徐々に上がっていきました。
その背景には
・癌に対して本人がショックを受けるから
・癌は治らないから
・死に対して本人が受け入れられないかもしれないから
・患者さんを思ってかわいそう
といった気持ちがあったようです。
実際に無告知で治療が開始されても当時の患者さんは真実を知ってしまう不安と真実を知らない不安の間で揺れ動いていたのではないかと思います。
しかし実際に治療は副作用が必ずあります。患者さんは気がつきます。
自分の知らないところで勝手に自分のことが決められるというのは本人にとって決して気持ちのいいものではありません。
ましてや今の世の中であればネットで調べれば何でもわかるのです。
私の研修医の時は本人より先にほぼ家族に告知されました。その後、治療にあたり本人が知らなければ安全に治療ができないし、患者の知る権利があることを家族に伝えて納得してもらってから本人に話されていました。結局最初から本人には言わないことが多いのでした。
ですから、告知に至るまでのトラブルは本当によくおきました。
特に親子の場合、自分の子供への癌告知を非常に抵抗されました。
なんとかして告知しないで治療をしてほしい。
癌になったことがかわいそう。受け入れられない。
そんなことをよく聞きました。
子を思うが故に起きる言動なのですが、
本当に相手にとってそれが良いことなのかはわかりません。
医療者側も先に家族に話すことで家族本意にさせてしまう傾向があるような気がしてします。
人はいつかは死ぬわけです。
確かに早すぎると思われる死もあります。
いつ死ぬかは人それぞれですが、死ぬとわかるのであれば
そこまでどう生きたいか本人が決められないのは
その人が自分の人生を生きられないのと同じではないでしょうか。
また、この時の出来事で癌の治療について、患者さん本人はもちろん、家族の精神的なサポートがいかに必要かを実感しました。
この経験が癌をきっかけに生きることへの心のサポートを模索する第一歩となったのでした。