ヘテロクリニックの日記

病院勤務医時代に、今の医療体制では患者さんも医療者も幸せになれないのではと感じ、誰もが笑って幸せに生きる医療を届けるべく自由診療を開始しました。癌治療、緩和ケア、訪問診療などの経験を活かし、病気による人間関係、現在の医療問題、就労問題などを楽しく書こうと思います。

私がへテロクリニックでこの仕事を始めたわけ(10)

私は患者さんに会うたびにその方の様々な背景や家庭環境の問題に

どう対応していいのか悩む機会がありました。

同じ人間は一人としていないし、

すべて同じ考え方の人もいないと思います。

ですから、こちらが良いと思うことが相手にとって良いとは限りません。

だからこそ、常に対話が必要であると思っています。

どんなにこちらが良かれとアプローチしても

思うようにいかないことも多々ありました。

その人の人生を後悔しないものにするために

その人自身が自分と向き合えるサポートが私はしたいです。

それが私の願いです。

 

ある時、路上で人が倒れていると救急車で運ばれきた人がいました。

暑い日のことです。おそらく脱水症状を起こしたのであろうその人は

もともと路上生活をしている人でした。

救急外来に運ばれ意識障害があるとなると

通常原因が何かを調べるために全身の検査をされます。

直接的な原因は脱水症状でしたので点滴で脱水補正をすると

意識はしっかりとしました。

しかし、全身検索をしたところ胆管癌が見つかり、その方は入院となりました。

 

彼が入院後、困ったことが起きました。

本人は入院をすると、自由が利かなくなったことから不満でやりたい放題です。

食事がまずいと言って皿を投げたり、

若い看護師さんを呼びつけて文句を言ったり

持ち込んだタバコを室内で吸ってしまったりするのです。

「先生、もうあの人退院させてください。」

看護師さんにそう言われるものの、

実際はもう自力で立てないほど彼は弱っていたのでした。

もともとの栄養の問題もあったのかもしれませんし、

検査で癌自体もかなり進行していることがわかっていました。

しかし癌に関しては本人は治療する気はありません。

お金もありませんし、自由でいたかったのです。

それでも、歩けないとなるとどうにもできないのでした。

病院としても癌の治療をしないとなると、

脱水が改善した今、何も治療することがないのです。

(ああ、困ったな。歩けない人を再び元の場所に帰すわけにもいかないし。)

家族に連絡するしかありません。

本人に家族のことを聞きますが全く答えようとしません。

ソーシャルワーカーさんに家族を探してもらい

家族がいることはわかりました。

家族のところに戻るように話しますが、

本人は外の世界に戻りたがっていました。

「でも、あなた歩けないでしょう。

元の生活にだってこれでは戻れないのではありませんか?

どうやってこれから生きていくんですか?」

私に何度か説得され、いや〜無理だと思うよと笑いながら言い

やっと家族の連絡先を告げたのでした。

 

私は家族に電話をかけました。

電話口には男性が出ました。

「・・さんのお宅ですか?私は・・病院の・・と申します。

実は、こちらに・・さんが入院になりまして、、、。」

そう言いかけたところで、

「何だお前、医者だかなんだか知らねえけど。知らねえよ、そんな奴。

電話かけてくるんじゃねえよ。そいつとは関係ねえよ。」

そう怒鳴られ一方的に電話を切られてしました。

しかし、私も彼を病院にそのままにするわけにいきません。

もう一度電話をかけます。

「先ほどお電話しました・・です。こちらに・・さんが入院されていまして、

率直にいいますが、癌なんです。今一人で暮らせる状況にありません。

一度病院で現在の状況を、、、。」

「しつけえんだよ。お前。そいつが俺たちに何したと思ってるんだよ。

そいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃになったんだよ。」

怒鳴りながら電話をきられてしまいました。

よほどのことがあったのだろう。

そう思いながら、病室の彼に尋ねました。

「これからどうしたいですか?

癌も進行しているので、外での生活に戻ってもいずれどこかで倒れて

また病院に運ばれるか、そのまま亡くなるかもしれません。

それでもいいですか?

それとも家族と会いたいですか?

正直なところご家族の方に連絡しましたが、切られてしまいました。

どんなことがあったか私にはわかりませんが

もし家族と会いたいならまた連絡します。」

昔いろいろあったからねと言いながら彼は黙りこんでしまいました。

 

夜の病棟会議で彼の話が出ます。

今治療をしていないのに、なぜ退院させないの?と他の先生に聞かれますが

退院してもいくところがないと答えるしかありません。

しかしボランティアではないのだから、

早く家族に引き取ってもらいなさいよと言われ

私は心の中でそんなことはわかっているよとイライラしていました。

なんとかしなければと思っていました。

ふと、私が女性で若いから彼の家族にあまり取り入ってもらえていないのかも

と思いました。

今度は上司にお願いをして彼の家族に連絡してもらいました。

やはり電話口では怒鳴っていたようでしたが、

なんとか病院に来てもらえるようになりました。

その変化に私は少し落ち込みましたが落ち込んでいても仕方がありません。

ともかく家族と会って現状を知ってもらって考えるほうがいい

そう考えていました。

 

病院に電話で話していたと思われる男性がやってきました。

彼の息子さんです。

病室に案内し、二人が出会った瞬間、

突然息子さんが彼に向かって殴りかかりました。

「この野郎。殺してやる。」

掴みかかりました。彼のほうも応戦します。

「ちょっとやめてください。」

間に入ってなんとか引き剥がしました。

「わかっただろ。こいつは俺たち家族とは関係ねえんだよ。」

これはどうにもならない。

病室から息子さんを出して話しました。

「では、亡くなった時は連絡させてもらいます。それはいいですか?」

「ああ、そうしろよ。」

 

どうしたものか、私は頭を抱えてしまいました。

(もう考えたくない。)

ナースステーションでため息をしていました。

それでも今後のことを彼と相談しなければ

そう思って重い腰を上げ、病室に戻った時でした。

彼が亡くなっていました。

 

急いで先ほどの息子さんに連絡を入れます。

私は慌てていました。

「あの今、・・さん亡くなりました。病室に戻ったら亡くなられていました。」

「、、、。」

それまでの態度とは全く違う息子さんがやってきました。

あれほど私に怒鳴り、威勢のよかった人ではなくなっていました。

目が泳いで両手を組んでそわそわしているのがわかりました。

何もしゃべりはしませんが、明らかに挙動不審でした。

父親が亡くなったことに動揺しているようでした。

一通り出棺などの準備をしていましたが、その間一切言葉は発されませんでした。

(本当は後悔しているのではないだろうか。)

過去にどんなことがあったのか全くわかりません。

もし和解できるのであれば、あれがラストチャンスだったのでは

そんなことを思ってしまいました。

(これでよかったのだろうか。)

でも私にはどうすることもできませんでした。

ひょっとすると息子さんは 感情的になりすぎて、

本当に自分の父親が死ぬという現実が見えなかったのでは

そんなことを思っていました。

実際のところはわかりません。

 

人は過ぎたことを後悔することがあります。

人との間で何か大きなわだかまりが出来た時

ことによってはそれを許すというのは大変なことだと思います。

彼らの間でも実際に許せないと思うほどのことがあったのかもしれません。

しかし、それでも心の奥に何かひっかかっていたからこそ

最後の時に動揺したのではないか、そんな風に感じたのでした。

ではどうすればよかったのか。

その答えはわかりませんが、どんな人にとっても少なくとも心のうちを

きちんと出せるような存在や場所がやはり必要 なのではないかと思いました。